フクの非日常

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ジャガイモのきた道―文明・飢饉・戦争

「ジャガイモのきた道」はジャガイモにまつわる人類史の本である。現在、食用としているジャガイモは野生種ではなく、栽培種。人類が長い歴史をかけて野生種のなかから栽培に適するように品種改良した末、現在の姿になっている。このへんは農耕の起源にまつわる稲や麦などと同じである。しかし、同じ南米を原産とするトウモロコシに比べるとジャガイモは栽培の普及がとても遅かった。これには保存・輸送に適さない点や、知識不足、偏見などいくつかの理由が解説されているがどれも興味深い。本当の理由はどうあれ、そういった歴史を辿って来たのだ。

ジャガイモは水分が80%を占め、腐りやすく、すぐ芽が出る。栽培地で食料とするには問題ないが輸送には適さないという経緯があった。現代においてはジャガイモの加工技術も進歩し、この限りではないと考える。しかし、プラスチックバッグに油で揚げたジャガイモを詰めて食べている量はトータルのジャガイモの量に比べると遥かに少ないのか。確かに主食という扱いではない。他には冷凍食品としてジャガイモの加工食品もある。これはどうか。確かな数は分からないが、かなり少量だろう。そう判断する根拠は、こうだ。ジャガイモを主食として消費している国、地域では、消費量がとても多い。一人当たり1日1キロだ。これに比べると加工食品はせいぜい1回の食事に数100グラム程度。しかも、冷凍食品を解凍して食事にするなど、毎日、毎食使うことはありえない。だいいち、そういった加工食品は割高であり、ジャガイモの普及の優位性である安価であることに反している。加工食品としてのジャガイモはマイナーととらえるべきである。日本においてもイモに対する見方の違いは世代によって異なる。若い世代はイモに対する偏見は無いのだが、戦争を体験した世代は戦中の代用食としてのイモという印象が強い。自分はジャガイモへのイメージは比較的明るいものばかりだ。カレーやグラタンなど食卓を「彩る」食事にジャガイモがよく登場する。このような見方ができるのは幸せな世代だと考えてしまうのである。

ジャガイモのきた道―文明・飢饉・戦争 (岩波新書)ジャガイモのきた道―文明・飢饉・戦争 (岩波新書)
(2008/05/20)
山本 紀夫

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つづき。

ジャガイモといえば外せないのがアイルランドのジャガイモ飢饉である。国外への輸出に対する規制も行われなかったため、アイルランドでは飢餓状態にあるにも関わらず穀物はアイルランドから失われる一方、という記述がされている。文章で表すとたしかにその通りかもしれないが、さらっと書き過ぎな気がしてならない。飢饉のなかアイルランドからイギリスへ穀物が輸出されるということは、アイルランド<<イギリスという相当な力関係が背景にある。また、飢餓状態アイルランドの農家が黙って穀物が輸出されていくのを見ていたのだろうか。それはちょっと想像が難しい。この辺り、ジャガイモ中心の話とはいえ少し軽く書き過ぎではないかと考える。

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